プロフィール

あくつ優のプロフィール

あくつ優の歩み

1991

山形市で生まれる

幼少期はあまり身体は強くありませんでしたが、色々なことに興味を示しスキーや水泳、昆虫採集など様々なことを体験しました。

「ウルトラマン」と「電車」が大好きな子供で、いつも人形やプラレールで遊んでいました。ウルトラマンのイベント会場に行った際、入り口の等身大バルタン星人(声付き)が怖すぎて腰が抜けて動けなくなってしまい、楽しみにしていた会場内に入れなくなりました。本編でバルタン星人が使った硬直光線を打たれると思いたじろんでしまったようですが、光線を打たれていないのに硬直してしまったようです。

プラレールが大好きな幼少期

幼稚園の時に積み木を制限時間内にスタートからゴールまでどれだけ運べるかを競うゲームにおいて、周囲の子たちが両手で一つずつ持ち運ぶ中、私は両手に一つずつ抱え一度に二つずつ運んだことでぶっちぎりで優勝しました。

1998

山形市立南沼原小学校

将来の夢は「新幹線つばさの運転士」と「ラーメン屋さん」でした。山形新幹線つばさ(当時銀色の車体の400系)が近未来の乗り物のようでとても好きでした。そして、最高速度が日本の新幹線で当時最遅と知りがっかりしました。

地図を書くのが大好きで、空想の鉄道を考えたり、新しい道路を引いて○○ニュータウンを勝手に作っていました。ちょうどその頃、蔵王みはらしの丘ができるという話を耳にし、あまりピンと来てはいなかったものの、何もないところに街ができるということに興奮しました。

運動会にて 走るのは苦手だった

私の近所にジャスコ(現イオンモール山形南)ができるということで開店前の植樹祭に参加しました。20年以上たった今では立派な樹木に育っています。それから「南ジャス」と親しまれ、現在まで幾度となくお世話になっています。小学生時代はトイザらスのスマブラ(大乱闘スマッシュブラザーズ)新作の体験プレイに並びました。店内のベイブレード大会で(弟が)優勝しました。私は2回戦負けでした。

町内会のお祭り前に
2004

山形市立第十中学校

これまでで1番真面目な時期(私基準)でした。勉強は予習復習をしていました。
中学校から始めた部活動のソフトテニスは、下手くそながらに頑張りました。
生徒会役員に立候補し、初めて選挙を経験しました。
給食で苦手なものはないと言い張り無理して食べていました。
やけに難しい熟語や格言を使いたがりました。

山形十中はイオンができた影響で校舎の隣を交通量の多い幹線道路が走ることから、当時市内に先駆けて冷暖房が完備された校舎でした。それに対して大人たちから、甘やかされているとよく言われていたことに便乗して、「十中生は苦労を知らないですよね」と自分のことを棚に上げて発言していたりしました。

小学生の時とは違い、少し大人として扱ってもらえることに高揚感を得て調子に乗っていたかもしれません。

今思えばいわゆる「中二病」真っ盛りでした。

中学生時代 通学は徒歩だった 
2007

山形県立山形東高校

当時流行した「高校生クイズ」に高校の1つ上の先輩が全国の決勝まで進出したことに感化され、クイズを勉強した上で出場しました。予選1回戦の○×クイズで脱落し、全く惜しくもない敗退に唖然としました。目立つようにとファンである広島東洋カープの赤い帽子を被っていましたが、後日テレビ放送があり何度も画面に写りながらも速攻敗退する姿に寂しさを感じました。

当時初のJ1昇格をかけて戦っていたモンテディオ山形の応援に何度も通い、主に部活の仲間と現地に行っていました。そして悲願のJ1昇格を果たした年、私は大学受験を控えた身でしたが、いてもたってもいられずいつもの仲間と現地観戦に行っていました。地元出身秋葉勝選手の試合終了間際の劇的ゴールで見事J1昇格後ホーム初勝利を挙げ歓喜しました。
翌日、職員室に呼び出され生活指導の先生に「気持ちはわかるけど受験生だし、生徒会役員でもあるんだから自覚持って」と言われました。なぜ現地にいたことがわかったのだろうと疑問に思っていると、「あと、応援に行くならユニフォームを着ていくように」と新聞のコピーを手渡されました。山形新聞のスポーツ欄でモンテJ1ホーム初勝利の写真にバックスタンドにいた私が写っていました。よく見ないとわからないものの、周りが青いはえぬきユニフォームを着ている中、部活のジャージ姿で応援していたことで悪目立ちしてしまったのでした。

2010

新潟大学

「時間はあるけど金はない」の典型で、節約料理を勉強したり格安旅行を考えたりしていました。

元々好きだったラーメンにのめり込み、多数のラーメン店に通いました。スープが同じだし(鶏ガラ、煮干しだし、あごだし等)だとしても、作り方によってまったく違う味になることを知りました。生まれて初めて行きつけのお店(近所のラーメン屋)を作りました。開店時間の何時間も前から仕込みを行い、最高の味を安定して出せるように日々努力している姿を目の当たりにしました。

ラーメンが好きすぎて何度も自作ラーメンに挑戦しました。鶏ガラを買い、野菜と共に煮込み沸騰させないように気を付けながら十数時間煮込むつもりでした。開始2時間で沸騰させてしまいました。麺もかんすい(麺にコシを与え黄色くするもの)をネットで購入し、小麦粉と共に練り込みました。丁寧に包丁を使って切ったため見た目はとてもよくできました。味はとてもとてもおいしくなりませんでした。10回ほどチャレンジしましたが、結局最後までうまくいきませんでした。ラーメン屋さんの偉大さを知りました。

青春18きっぷにハマり、全国を回りました。大学在学中に47都道府県制覇を目指していましたが、九州遠征の際に台風直撃でおよそ2日間足止めを食らい、九州地方の全てを訪れることはできませんでした。結果的に現在42都道府県で止まっています。

また、全国を回る中で自分が今まで当たり前だと思っていたことが他の地域では当たり前でないこともあることを知りました。例えばラーメンを挙げると、山形で「ラーメン」といえばいわゆる醤油ラーメン(薄い鶏ガラスープ)をイメージする方が多いかと思います。味噌ラーメン塩ラーメンは区分しても醤油ラーメンは単なる「ラーメン」か「中華そば」「支那そば」の表記が多いかと思います。わざわざメニューに「醤油ラーメン」と記載する店は少ないのではないか。私もそう思っていました。しかし、「ラーメン」とは各地域によってイメージされる味が違います。

有名どころを挙げると博多では「ラーメン」といえばとんこつラーメンを連想する方が多いです。お店にもよりますが、山形の人がイメージするであろうラーメンは「醤油ラーメン」としてメニューに記載されています。

ラーメンの例を挙げましたが、おおよそ山形で当たり前だと思っていたことが他の地域では当たり前でないことはたくさんあります。

最近まで蔵王の樹氷は雪が降る山ならどこにでもできるものだと思っていました。しかし、樹氷は多くの自然条件が揃わないと発生せず、実は日本どころか世界的に見ても非常に珍しいものです。日本において山形にしかないものではないものの、蔵王の「スノーモンスター」とも呼ばれる大迫力の雪の絶景は世界に誇るべき山形の観光地です。

私は多少なりとも観光や交通について勉強し、山形の魅力についても再確認しました。

他地域から見れば素晴らしいものが山形では当たり前となってしまい埋もれてしまっているものがたくさんあります。

「海外から人いっぱい来て山形さ何し来んだべ~」

山形の人にとっては当たり前でなんとも思わない景色や食べ物でも、それを初めて見た、食べた人が感動するようなものがたくさんあります。

そうした山形の素晴らしいところを他の地域の方に知ってもらうのはもちろんですが、私は山形にずっと住んでいる方にもぜひ山形の素晴らしさを再認識していただきたいと考えています。

JR東日本での歩み

プラレール好きの幼年がJR東日本の運転士へ